僕は小学4年生の頃から、大学4年生まで13年間野球部に所属していた。だから、野球というスポーツを通して学んだことは山ほどある。
その中には野球じゃなくても学べたこともたくさんあるだろう。でも、野球だからこそ学べたこともたくさんある。そこで、この記事では野球とういうスポーツが、その人自身にどう影響しているのかの考えをまとめたいと思う。
野球部出身の著名人
まず、高校野球経験者で、世の中で大活躍されている方はたくさんいる。こういったことを知ると、元野球人としてはとても嬉しくなる。
高校野球部出身の有名人
阿部サダヲ(俳優/千葉・市立松戸高校)
石橋貴明(とんねるず/帝京高校)
小泉孝太郎(俳優/神奈川・関東学院六浦高校)
小泉進次郎(衆議院議員/関東学院六浦高校)
関口メンディー(EXILE/GENERATIONS/東京・郁文館中学校高等学校)
田中大貴(フジテレビアナウンサー/兵庫・小野高校)
羽鳥慎一(日本テレビアナウンサー/横浜平沼高校)
若田光一(宇宙飛行士/埼玉・県立浦和高校)
上記以外にも有名な方では、元スターバックス・コーヒージャパンの岩田松雄さんなど、ビジネスで活躍されている方も多くいらっしゃる。岩田さんは大阪大学の硬式野球部でもプレーされていたらしく、(実は僕も大学時代同じリーグに所属していたので…)それを知って感激した。
さて、ここでは、日本の野球というスポーツを通して得られる力・特性と、社会で成功することとのつながりについて、以下3の観点から考えたいと思う。
・理不尽に対する耐性
・組織の中の役割に対する姿勢
・長時間でも耐え忍ぶ力
理不尽に対する耐性
日本の野球というスポーツ、とりわけ高校野球という特殊な世界は、理不尽の連続だ。多くのスポーツでも似たところはあるはずだが、特に高校野球の理不尽さは強大だ。
例えばその上下関係。下級生が1時間も早くグラウンドに来る、準備やグラウンド整備をする、ボールには触れない、そんなことは当然のこと、高校によっては丸坊主のわずかな髪の長さ(1年生は5ミリ以下でなければならない)や、方からかけるバッグの紐の長さまで厳しく規定されていることさえある。
そこに合理的な理由はない。いくら野球が上手くても「下級生である」「先輩たちもそうだったから」というだけで例外はつくらない。これは、今の教育・社会においては時代遅れと感じられる方も多いかもしれない。
しかし、社会に出るということは理不尽の連続だ。新入社員の中には、「なんで自分がこんなことをしないといけないんだ」「自分はこんなことをするためにこの会社に入ったのではない」と不満を口にし、すぐに会社を辞めてしまう人も少なくない。一方で、10代で社会の理不尽さを経験している元高校球児たちはこう考える。
「こういうもんだから仕方ない。まずはやるしかない。」
時代遅れのようだが、その姿勢は意外と日本人に受けがいいものだ。ひたむきな姿勢が上司の目にとまり、やがて重要な仕事も任せてもらえるようになっていくということは多々あるだろう。ある時、あるメガバンクで人事を務める友人がこんなことを言っていた。
「野球部出身者は他の運動部出身者と姿勢が違う。例えば『1年生はグラウンド整備をしろ』と言われたときに、野球部出身者は『はい喜んで!』と言って黙ってやる。
他の少し頭が良い新入社員は『なぜ1年生だけがする必要があるのですか?全員でやったほうが早くないですか?合理的な理由はありますか?』と先輩に聞く。自分で考えるというのは良いことだが、正直知識が浅はかな新入社員レベルで好感が持てるのは前者だし、伸びるのも前者。実践してみてわかることは山ほどあるから。」
また、これらの野球人としての資質は、川崎宗則選手(シアトル・マリナーズ2012年現在)のこんな言葉にもよく現れている。
日本人は、強がるんだ。
日本語に『強がり』って言葉、あるじゃん。
強がってやせ我慢するんだ。
「大丈夫か?」「大丈夫です」
「痛いか?」「痛くないです」
「レフトできる?」「できます」
「キャッチャーできる?」「行けまっせ」
強がるんだよ。ドキドキしてるんだけど、強がる。
「逆境を笑え 野球小僧の壁に立ち向かう方法」川崎宗則(2014年 文藝春秋)
組織の中の役割に対する姿勢
野球ほど組織の中で役割が明確に分かれているスポーツはなかなかない。守備位置が明確に分かれていて、1人ひとりが順番に打席に立って1打席ずつその選手の結果が出る。投手は1球1球投げ、すべての結果がスコアに残る。1塁ランナーには1塁ランナーの役割があり、ランナーコーチにはランナーコーチの役割がある。
バッティングの得意な選手を20人集めても勝てない。チームの中には守備が得意な選手、肩が強い選手、足の速い選手、チームの雰囲気づくりができる選手、すべての要素が必要だ。
だからこそ、野球部員は常に考えている。自分がこのチームで生き残るには何が必要か。どの強みを伸ばしていけば、他の選手と差別化でき、ベンチメンバーに入ることができるのか。バッティングの勝負強さ、守備の安定感、盗塁の巧さ、バントの巧さ、時にはランナーコーチとしての判断力といった強みに磨きをかけて、レギュラー入り・ベンチ入りを狙っている。
これは社会人になっても同じだろう。自分という商品を、会社の中でどう売り抜くか。ライバルと自分を差別化し、どう強みを発揮していくか。それと同じ思考回路を高校球児は10代の頃から持っている。
僕の場合、大学でも硬式野球を続けると決めた際に、左打者に転向した。その理由は、守備力・肩の強さ・足の速さには自信があったがバッティングがまるで周囲についていけなかったからだ。それなら長打を打てる力強いバッティングを身につけることは捨ててしまって、強みである足の速さを活かせる左打者に転向したほうが、レギュラーになれる可能性が高まるのではないかと考えたのだ。
その結果、今まで振るわなかったバッティングでは内野安打を量産できるようになった。そして、関西のあるリーグの1部リーグで大学2年生の秋からレギュラーを勝ち取ることができ、3年生の時にはベストナイン賞をとれるほど成長することがでた。戦略勝ちだったと思う。
長時間でも耐え忍ぶ力
野球というスポーツは、とにかく練習時間・拘束時間が長時間に及ぶ。例えばバスケやサッカーというスポーツは、選手たちは常に走っているためそもそも長時間練習することができない。怪我につながることもあるだろう。
一方で野球というスポーツは常に走り回っているわけではない。試合でも攻撃の時間は、自分の打席以外の時間はベンチに座っていられる。もちろん練習の時は座っているなんてことはないが、幸か不幸か長時間練習できてしまうスポーツなのだ。例えば朝7時から練習を始めて、終わるのは日が沈む20時頃。という練習量も高校野球では決して珍しくない。
これは先述した「理不尽さ」に似ているところかもしれないが、真夏に水分補給をほとんどせず何時間もグラウンドに立たされることもザラにある(それが効率的でないことはみんな知っている)。 僕自身も喉が渇きすぎて唾液が出てこなくなった経験もある。周りの選手はグラウンドの隅で嘔吐していたのを覚えている。
そんな窮地に立たされて耐え忍ぶ経験を10代でしているのだから、社会人になってからの仕事上での苦痛も耐えられるようになるのもうなづける。
TEDのプレゼンターである企業の人事部長を務めるレジーナ・ハートリーは、若い時の大きな困難を経験した人材を「スクラッパー(闘士)」と表現している。そして大きな困難を経験したからこそ、ビジネスマンとして優秀な人材に成長できること(心的外傷後成長)に言及している。
完全にコントロールできるのは自分だけ という信念によって 「闘士」は 動かされています。物事がうまくいかない時 彼らは自問します 「もっとうまくやるには やり方をどう変えたら良いか?」 「闘士」にはある種の 目的意識があって 容易にはくじけません。貧困や 狂った父親や 度重なる強盗との遭遇を 生き抜いてきた彼らは言うでしょう 。「仕事上の困難だって?!」「本気で言ってるの? そんなの何でもない!まかせろ!」
レジーナ・ハートリー『最高の人材の履歴書が必ずしも理想的でない理由』
まとめ
野球経験者に成功者が多い理由は、「理不尽に対する耐性」「組織の中の役割に対する姿勢」「長時間でも耐え忍ぶ力」が身についているからだ。